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年表

※イングランドサッカー協会(The FA)が創立。世界初のサッカー協会。

1月

・日本発のフットボールクラブ、横浜フットボールクラブ(YFBC)が創設される。

・イングランドサッカー協会(The FA)創設から10年後、英国海軍教官団のA.L.ダグラス少佐と海軍将兵が来日。東京築地の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)で日本人の海軍軍人に訓練の 余暇としてサッカーを教えた(これが、日本でサッカーが紹介された最初というのが定説になっている)。

・体操伝習所(のちの東京高等師範学校体操専修科)が創設され、教科の一つにサッカーが取り入れられる。

4月

・坪井玄道らが著した『戸外遊戯法 一名戸外運動法』が刊行。書内第17項で「フートボール(蹴鞠の一種)」に競技のやり方が紹介。これが日本語でサッカーを紹介した最初の文献であると言われている。

6月

※サッカーの競技規則の制定などサッカーに関わる重要事項を決める意思決定機関、世界サッカー評議会(IFAB)が創立。

3月

・日本最古の対抗戦と言われるインターポートマッチ(港対抗戦)が開催される(横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ(YC&AC)と神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブ(KR&AC)が対戦)。

3月

・東京の高等師範学校(東京高師)にフートボール部が設立される。

4月

※第1回オリンピック競技大会がアテネで開催される。

2月

・東京高師がYC&ACと対戦(0-9で完敗)。これが日本で行われた初めての外国チームとの対抗試合と言われている。

5月

※国際サッカー連盟(FIFA)が創立

11月

・日本人同士の初の対抗試合と言われる東京高師と青山師範学校との試合が行われる。

10月

※サッカー(男子)がオリンピックの正式種目となる。

5月

・東京高師が、日本代表として初の国際試合となる第3回極東選手権(東京・芝浦)に出場。

・内野台嶺が日本初のクラブチーム「東京蹴球団」を結成。

1-2月

・全国高校サッカー選手権大会の前身となる日本フートボール大会(大阪・豊中)や東海蹴球大会(愛知・名古屋)、関東蹴球大会(東京)など多くの大会が開催される。

3月

・英国大使館の書記官補を務めていたウイリアム・ヘーグらの尽力により、イングランドサッカー協会(The FA)よりFAシルバーカップが寄贈され、嘉納治五郎大日本体育協会会長が英国大使館で同カップを受け取る。 FAシルバーカップが贈られたことが契機となり、この2年後の1921年に大日本蹴球協会が創設されることに。

5月

・第5回極東選手権に全関東チームが日本代表として出場。

9月

・大日本蹴球協会(現、日本サッカー協会/JFA)創立。初代会長に今村次吉就任。

11月

・第1回大会となるア式蹴球全国優勝競技会(現、天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会)が開催され、4チームが出場。初代王者は東京蹴球団で、エリオット英国大使から山田午郎主将にFAシルバーカップが授与される。

1月

・第1回全国高等学校(旧制)選手権、スタート。

5月

・日本代表(西田満寿次郎監督)が、第6回極東選手権(大阪)に出場(のちに日本代表初の国際Aマッチとして認定)。

8月

・東京高等師範学校付属中学校でサッカーを指導していたチョー・ディン著の指導テキスト『How to Play Association Football』の日本語版が出版される。これが日本サッカーの戦術的基盤づくりに生かされる。

9月

※関東大震災

11月

・ア式蹴球東京コレッジリーグ(現、関東大学サッカーリーグ)がスタート。

3月

・大日本体育協会に加盟。

8月

・日本代表(監督なし)が第8回極東選手権大会に出場。初戦でフィリピンを下し、国際試合初勝利。

・JFAが全国に9支部を設置することを決定。

5月

・国際サッカー連盟(FIFA)に加盟(第二次世界大戦の際に除名)。

・JFAの9支部が10支部に。

12月

・第1回東西学生王座決定戦がスタート。

5月

・日本代表(竹腰重丸監督)が第9回極東選手権大会(東京)に出場。手島志郎、篠島秀雄らの活躍により、中国と3-3で引き分けててタイトルを分かち合う。日本初のタイトル。

7月

※初の世界選手権(現、FIFAワールドカップ)がウルグアイで開催される。

6月

・大日本蹴球協会旗章が制定される。3本足の烏は、東京高等師範の内野台嶺(大日本蹴球協会理事)ら協会役員が発案し、彫刻家の日名子実三が図案化したもの。

10月

・協会機関誌『蹴球』(現、『JFAnews』創刊。

5月

・第10回極東選手権(鈴木義重監督)。

4月

・第2代会長に深尾隆太郎が就任。

8月

・日本代表(鈴木重義監督)がベルリンオリンピックに出場。日本代表の竹内悌三主将は入村式で旗手を務めた。3-2でスウェーデンに勝利 (「ベルリンの奇跡」)。この試合で川本泰三がオリンピックでの日本人初ゴールを記録。チームはベスト8進出。

・大日本蹴球協会「蹴球行進曲」完成。

4月

・大日本蹴球協会から大日本体育会(現、日本スポーツ協会)の蹴球部会となる。

・田辺治太郎(関西)と乗冨丈夫(関東)が大日本蹴球協会会長を代行(1946年まで)。

1月

・大日本体育会が、政府が進めている銀回収に協力することを決め、同協会および加盟団体で保有している賞杯等を政府に供出。大日本蹴球協会はFAシルバーカップ(The FA寄贈)などの銀杯を供出。

1月

・終戦後、初のサッカーの試合が行われる(神戸一中対明星商業)。

2月

・戦後初の東西対抗が西宮(兵庫)で行われ、全関東OB対全関西OB、全関東学生対全関西学生がそれぞれ行われる。

5月

・「復興第1回全日本サッカー選手権大会」と銘打ち、第26回大会となる全日本選手権(現、天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会)を開催(第21~25回は戦争のため中止)。

11月

・第1回国民体育大会開催。

・日本蹴球協会に改称。

4月

・高橋龍太郎が第3代会長に就任。

・ナイルキニックスタジアム(神宮外苑競技場/現、国立競技場)で行われた東西対抗に天皇、皇太子のご臨席を賜る。天皇杯下賜のきっかけに。

7月

・宮内庁より天皇杯が下賜される。(1949、1950年は東西対抗の優勝チームに授与)。戦後、各競技団体に下賜された中で最初の天皇杯。

8月

・機関誌『SOCCER』が復刊。

9月

・国際サッカー連盟(FIFA)に再加盟。

3月

・日本代表、第1回アジア競技大会(ニューデリー)に出場。二宮洋一は選手兼監督として出場。日本代表は3位に。

5月

・この年から全日本選手権に天皇杯が授与されることになり、天皇杯全日本サッカー選手権に改称。同大会優勝チーム(慶応BRB)が初の天皇杯を獲得。

11-12月

・戦後初の欧州チーム(ヘルシングボリュ/スウェーデン)が来日し、日本代表(竹腰重丸監督)と対戦。

1月

・第1回全日本大学サッカー選手権が開幕。

8月

・日本学生選抜が、西ドイツ(ドルトムント)で開催された国際大学スポーツ週間(のちのユニバーシアード)に参加(10ヵ国中4位)。戦後の厳しい状況下にもかかわらず、若手有望選手に本場のサッカーを見聞させることを目的に、約2カ月にわたる遠征を実施。

3月

・FIFAワールドカップスイス予選に初出場。日本代表(竹腰重丸監督)初のワールドカップ予選(日本は韓国に1分1敗で本大会へ進めず)。

10月

※アジアサッカー連盟(AFC)創立。

4月

・第4代会長に野津謙が就任。

9月

・審判員登録事務が始まる。翌1957年8月までに189名が登録される。

11月

・日本代表(竹腰重丸監督)がメルボルンオリンピックに出場。チームは1回戦敗退。また、この大会で竹腰は主審として参加。

・多和健雄らの尽力によって学習指導要領が改正され、小学校から高校までの正課体育にサッカーが採用されることになる。

3月

・国立霞ヶ丘陸上競技場が完成(東京都新宿区)。

5月

・FIFA主催の国際審判講習会を日本で開催。

・市田左右一(常務理事)が日本初のFIFA理事に就任。

5-6月

・東京で第3回アジア競技大会が開催される。日本代表(川本泰三監督)はグループリーグで敗退。村形繁明が決勝の主審を、横山陽三が線審を務める。

4月

・日本の提案によりアジアユース選手権(第1回はマレーシアで開催)がスタート。日本ユース代表(高橋英辰監督)は3位に。

5月

・第40回天皇杯全日本サッカー選手権大会で古河電工が実業団初の優勝。

8月

・西ドイツサッカー協会にコーチの派遣を要請し、デットマール・クラマー氏がコーチを務めることに。高橋英辰日本代表監督と共に、東京オリンピックに向けた強化に取り組む。日本代表は、50日間にわたる欧州・ソ連遠征を実施 し、この遠征でデュイスブルク(西ドイツ)のスポーツシューレでクラマーコーチから指導を受ける。このスポーツシューレでの経験がのちのJリーグの礎とな る。

10月

・デッドマール・クラマーコーチ、初来日。

11月

・日本代表(デッドマール・クラマーコーチ)、FIFAワールドカップ(チリ)予選に出場し、アウェイで韓国と対戦。日本のスポーツチームとして、戦後初の訪韓を果たす。

6月

・FIFAワールドカップチリ予選、日本代表敗退が決まる。

4月

・小学校の体育の正課でサッカーが取り入れられる。

5月

・1961年度最優秀選手に長沼健が決定。この賞は、JFA創立40周年を記念し1961年度から始まった表彰で、全国のサッカー記者の投票で選出するもの。

10月

・日本代表(長沼健監督)、西ドイツのアマチュア代表と対戦し、国内で欧州チームに初勝利。

10月

・日本代表(長沼健監督)が、東京オリンピックに出場。3-2でアルゼンチンに勝利し、ベスト8入り。福島玄一と横山陽三が主審を、浅見俊雄、早川純正、池田太郎、丸山義行、佐藤弘が線審(現、副審)を務める。

・関西サッカー協会が中心となって、東京オリンピック5・6位決定戦を開催(長居)。この試合で日本代表(長沼健監督)は、ユーゴスラビアオリンピック代表と対戦。

・10月25日に行われた「お別れのパーティー」でクラマーコーチから「日本代表の強化のため積極的に対外試合」「海外遠征を行うこと」「良いコーチを育て、彼らが日本の一流チームを指導すること」「ホームアンドアウェイ方式のリーグ戦をできれば全国規模で行うこと」「はコーチ(指導者)の組織を確立すること」の四つの提言がなされる。

4-5月

・日本で第7回アジアユース大会を開催。日本ユース代表(平木隆三監督)はグループステージ敗退。

6月

・クラマーコーチの提言にもあった日本初の全国リーグ、日本サッカーリーグ(JSL)が8チーム編成でスタート(~1992年)。

9月

・第1回全日本社会人蹴球大会開幕(大分県・別府市)。JSL創設に伴い、実業団選手権大会と全国都市対抗大会を改廃統合して新たに発足させたもの。開幕当初は、この大会の1、2位のチームが、JSL7、8位のチームに対し入替え挑戦権を得られた。

12月

・三国対抗サッカー再開。これより、朝日新聞社との共同主催となり「三国対抗・朝日国際サッカー」としてスタート。この大会に、AIKストックホルムとトルペド・モスクワが来日。

5月

・『月刊サッカーマガジン』刊行。1993年より週刊誌として刊行される。

6月

・宮内庁より新しい天皇杯が下賜される。

8月

・全国高等学校総合体育大会にサッカー競技が加わる。国体・高校の部と、高校サッカー選手権と合わせ、高校年代の全国大会が年間三つとなった。

6月

・ブラジルのパルメイラスが来日し、日本代表(長沼健監督)と対戦。DF鈴木良三らの活躍もあり、日本代表が南米のプロチームに初勝利を収める(2-1)。

8月

・第1回全国サッカースポーツ少年団大会開幕(山梨県本栖湖センター)

4月

・副会長の篠島秀雄の尽力によりサッカー専門番組「イギリス・プロサッカー」(のちに「三菱ダイヤモンド・サッカー」に改名)(東京12チャンネル/現、テレビ東京)の放送が実現。

10月

・日本代表(長沼健監督)がメキシコオリンピックに出場し、銅メダルを獲得 。同年にFIFAが新設したFIFAフェアプレー賞を受賞。 また、この大会で丸山義行審判員がグループステージで主審を務める。

1月

・この年から天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝が元日に行われる。

3月

・メキシコオリンピックで銅メダルを獲得した日本代表チームが、ユネスコの1968年度フェアプレー賞を受賞することが決まる(授賞式は5月13日、パリのユネスコ本部で行われ、長沼監督が出席)。FIFAフェアプレー賞とダブル受賞。

4月

・野津謙JFA会長(AFC副会長)がFIFA理事に就任。日本からの理事は2人目。

7-10月

・第1回FIFAコーチング・スクール開校。デットマール・クラマーが主任指導者を務める。

10月

・国際審判の福島玄一が日本人として初めてFIFA審判特別功労賞受賞。

・FIFAワールドカップメキシコ'70アジア/オセアニア予選、日本代表(長沼健監督)敗退が決まる。

5月

・FIFAが競技規則の解釈と適用を国際的に統一することを目的に、第1回FIFAナショナルレフェリーズコースを開催(神奈川県・藤沢市県営体育センター)。

6月

・丸山義行審判員が日本人として初めてFIFAワールドカップメキシコ'70に参加し、グループステージで線審(現、副審)を務める。

7-8月

・JFA初のコーチングスクールを開講。

8月

・第1回全国中学校サッカー大会開催。

・専門的な指導を行う公認コーチと、主に少年たちを対象とする公認リーダーの2つの指導者ライセンスを設定

12月

・ブラジル生まれのネルソン吉村大志郎が日本国籍を取得。サッカーの外国籍選手としては初の日本国籍取得。

9月

・JFA内に指導者組織コーチャーズアソシエーションを創設。

4月

・JSL2部がスタート

8月

・西が丘サッカー場(サッカー専用スタジアム)が完成。

9月

・第1回日韓定期戦スタート(1991年の第15回大会をもって終了)。

12月

・天皇杯全日本サッカー選手権大会が、全加盟チームに門戸が開かれ、オープン化された。オープン化第1回目の第52回は、地域大会を勝ち抜いた16チームとJSL1部8チームの計24チームで中央大会が行なわれた。

5月

・FIFAワールドカップ西ドイツ'74アジア/オセアニア地区予選、日本代表(長沼健監督)敗退が決まる。

2月

・新田純興らが『日本サッカーの歩み(日本蹴球協会創立満50年記念出版)』を編纂。

3-4月

・マラハリム・カップ(インドネシア)で指揮する日本代表(Bチーム/平木隆三監督)が初優勝。

6月

・大畠襄がJSLチームドクター協議会を設立。

7月

・東京12チャンネル(現・テレビ東京)でFIFAワールドカップ(西ドイツ)決勝を生中継。日本でのワールドカップ生中継は初。

8月

・財団法人化。財団法人 日本サッカー協会に名称変更。

6月

・日本代表(長沼健監督)が第6回アジアカップ予選に初出場。予選で敗退し、本大会出場はならず。

4月

・第5代会長に平井富三郎が就任。

・JSLのカップ戦、JSLカップが開幕。

・日本代表監督に二宮寛が就任。

10月

・日本サッカー後援会発足。

4月

・他の競技団体に先駆けて年齢別の登録制度を導入。登録費を徴収することで、それまでの財政赤字が改善されることに。

・社会人連盟設立。1977年度の第13回全国大会より、選手権大会という名称の下、新しい体制がスタートした

・日本体育協会・公認スポーツ指導者制度創設に伴い、JFAではその制度に準じた「公認リーダー」→「公認コーチ」→「公認上級コーチ」の図式を完成

6-7月

※第1回となる世界ワールドユース選手権(現、FIFA U-20ワールドカップ)が開催される。

7月

・全国クラブユース選手権大会(現、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会)がスタート

・第1回総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントがスタート

8月

・全日本少年サッカー大会(現、JFA全日本U-12サッカー選手権大会)がスタート(地域協会より推薦された32チームが出場)。

・全国から優秀な選手を集めた育成制度、セントラルトレーニングセンターをスタート(1980年より、ナショナルトレーニングセンター制度に)。

10月

・古河電工の奥寺康彦が1FCケルン(ドイツ)入り。日本人プロ第1号。

・第1回地域リーグ決勝大会始まる。

5月

・ジャパンカップ(後のキリンカップサッカー)が始まる。

・日本代表監督に下村幸男が就任。

3月

・日本女子サッカー連盟が発足。

・女子を「第5種」として登録することを決定。

8-9月

・FIFAワールドユース・トーナメント(現、FIFAU-20ワールドカップ)を日本で開催。U-20日本代表(松本育夫監督)はグループステージ敗退。

3月

・全日本女子サッカー選手権大会(現、皇后杯JFA全日本女子サッカー選手権大会)がスタート。

4月

・ナショナルトレーニングセンターが正式に発足。

5月

・日本代表監督に渡辺正が就任

5-6月

・ジャパンカップが、キリンビールの協賛てジャパンカップキリンワールドサッカーに改称。

10月

・日本代表監督に川淵三郎が就任(強化部長と兼任)。

・『週刊少年ジャンプ』(集英社)第18号から「キャプテン翼」の連載が始まる。これによって、サッカー選手を目指す少年が増加。

2月

・第1回トヨタヨーロッパ/サウスアメリカカップ(通称:トヨタカップ)開催(~2004年)。

3月

・日本代表監督に森孝慈が就任。

6月

・日本女子代表の初代監督に市原聖曠が就任。

・日本女子代表(市原聖曠監督)を初めて編成し、第4回アジア女子選手権(香港)に出場。

9月

・日本初の女子国際サッカー大会となる、ポートピア81国際女子サッカーが開催される(兵庫/東京)。

10月

・テレビ東京系列で、「キャプテン翼」(アニメ)のテレビ放送が始まる。

11月

・日本女子代表監督に折井孝男が就任。

7月

・日本サッカー審判協会発足。

※第1回FIFA U-16世界選手権(現、FIFA U-17ワールドカップ)が開催される。1991年よりU-17に引き上げられる。

5月

・ジャパンカップキリンワールドサッカーが「キリンカップサッカー」に改称

8-9月

・神戸でユニバーシアード競技大会が開催される。この大会からサッカーが正式種目に。ユニバーシアード日本代表((・・・監督)は4位。

10-11月

・日本代表(長沼健監督)、FIFAワールドカップメキシコ'86アジア地区最終予選に進むも敗退。

1月

・日本女子代表監督に鈴木良平が就任。

3月

・日本代表監督に石井義信が就任。

4月

・プロ選手の登録「スペシャルライセンスプレーヤー制度」を導入。奥寺康彦、木村和司がプロ登録。

6月

・高田静夫審判員がFIFAワールドカップ(メキシコ)で主審、線審(現、副審)を務める。

12月

・日本女子代表(鈴木良平監督)が第6回アジア女子選手権(香港)で準優勝。

・古河電工サッカー部が第6回アジア・クラブ選手権で初優勝。

4月

・高円宮憲仁親王殿下がJFA名誉総裁にご就任(3月11日)。

・第6代会長に藤田静夫が就任。

12月

・日本代表監督に横山謙三が就任。

1月

・読売サッカークラブが、古河電工に続き第7回AFCアジアクラブ選手権に優勝。

3月

・JSLを盛り上げ、日本サッカーのレベルアップを図ることを目的に、JSL内に「第1次活性化委員会」が設置される(10月まで6回開催)。

10月

・「第2次活性化委員会」(1989年3月まで8回開催)。第1次、2次にわたる活性化委員会から「プロリーグ設立」の案が持ち上がる。

1月

・フットサル日本代表(宮本征勝監督)が、第1回FIFA5人制室内サッカー世界選手権(オランダ/現、FIFAフットサルワールドカップ)に出場。グループステージ敗退。

6月

・3月にJSLから「日本サッカーリーグの活性化案」が提出されたことを受け、JFA内に「プロリーグ準備検討委員会」を設置。

8月

・日本オリンピック委員会(JOC)に加盟。

9月

・FIFAに対し、2002年FIFAワールドカップの開催国として立候補の意思を表明。

11月

・日本女子代表監督に鈴木保が就任。

12月

・高円宮杯全日本ジュニアユース(U-15)サッカー選手権大会(現、高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会)がスタート。

5月

・村田忠男専務理事がAFC副会長に就任。

6-7月

・高田静夫審判員がFIFAワールドカップ(イタリア)に参加し、主審、線審(現副審)を務める。

8月

・プロリーグ検討委員会を開催(1991年まで6回開催)。

8-9月

・高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会(現、高円宮杯JFA U-18サッカーリーグ)がスタート。

9-10月

・第11回アジア競技大会(北京)に日本女子代表(鈴木保監督)が初出場し、準優勝。

2月

・プロリーグ参加10団体(住友金属サッカー部、古河電気工業サッカー部、三菱自動車工業、読売サッカークラブ、日産自動車サッカー部、全日空サッカークラブ、清水エスパルス、トヨタ自動車サッカー部、松下電器産業サッカー部、マツダサッカークラブ)が決定。

3月

・プロリーグ設立準備室開設(川淵三郎室長)。

6月

・日本代表(横山謙三監督)がキリンカップで優勝。

・2002年ワールドカップ日本招致委員会設立。

5-6月

・福岡で第8回アジア女子選手権が開催され、日本女子代表(鈴木保監督)が準優勝。

7月

・プロサッカーリーグの正式リーグ名称「Jリーグ」を発表。

11月

・社団法人日本プロサッカーリーグ設立(11月1日)。初代チェアマンに川淵三郎が就任。

・日本女子代表(鈴木保監督)、第1回FIFA女子世界選手権(中国/現、FIFA女子ワールドカップ)に出場。グループステージ敗退。

・藤田静夫がFIFA功労賞(金賞)を受賞。

2月

・日産自動車サッカー部(横浜F・マリノスの前身)が第2回アジア・カップウィナーズカップで初優勝。

4月

・日本代表初の外国人監督にハンス・オフト(オランダ)が就任。

5月

・第7代会長に島田秀夫が就任。

・プロチームとプロ選手の指導資格となる公認S級コーチのライセンスを開講。

・Jリーグ・プレスプレビュー開催。参加10クラブ(鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原、浦和レッドダイヤモンズ、ヴェルディ川崎、横浜マリノス、横浜フリューゲルス、清水エスパルス、名古屋グランパスエイト、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島/クラブ名は当時)のロゴ、キャラクターマーク、ユニホーム等を発表。

7月

・日本フットボールリーグ(1999年~)の前身となるジャパンフットボールリーグ(JFL)が開幕。

8月

・日本代表(ハンス・オフト監督)、第2回ダイナスティカップ(中国)で優勝。

・舘喜一郎審判員がバルセロナオリンピックで主審を務める

9-11月

・Jリーグ初の公式戦となるJリーグヤマザキナビスコカップ(現、JリーグYBCルヴァンカップ)を開催。ヴェルディ川崎が優勝。

10月

・Jリーグのオフィシャルテーマソング発表(「J's THEME」/作曲/編曲:春畑道哉)

11月

・広島で第10回アジアカップが開催される。日本代表(ハンス・オフト監督)がアジア初制覇。

4月

・ナショナルトレーニングセンター、9地域と中央を結ぶ新しい制度が確立。

・横浜マリノスが第3回アジアカップウィナーズ選手権で2連覇。

5月

・Jリーグ開幕。5月15日に国立競技場で開幕式を行う。開幕戦は、川崎ヴェルディ対横浜マリノスの対戦で、2-1で横浜マリノスが勝利。初ゴールは川崎のマイヤー選手。日本初のプロサッカーリーグは爆発的な人気を博す。「Jリーグ」はこの年の新語・流行語大賞を受賞。また、企業スポーツからの脱却を図り、地域に根差した スポーツクラブをつくろうという理念は、それまで企業スポーツと学校体育で発展してきた日本のスポーツ界に大きな風穴を開けた。

8月

・日本でFIFA U-17世界選手権(現、FIFA U-17ワールドカップ)が開催される。U-17日本代表(小嶺忠敏監督)は同大会出場でベスト8入り。

10月

・ワールドカップ初出場を目指したFIFAワールドカップアメリカ'94アジア地区最終予選の最終戦、日本代表(ハンス・オフト監督)はイラクと対戦。日本は2─1でリードしていたが、試合終了間際に同点ゴールを許して2─2の引き分けに。これで首位から3位に転落し、初のFIFAワールドカップ出場を逃した(「ドーハの悲劇」)。

・東京で開催されたアフロ・アジア選手権で日本代表(ハンス・オフト監督)がコートジボワールを破り、優勝。

3月

・ロベルト・ファルカン(ブラジル)が日本代表監督に就任。

5月

・第8代会長に長沼健が就任。

10月

・第12回アジア競技大会が広島で開催され、日本代表(ロベルト・ファルカン監督)は準々決勝敗退。日本女子代表(鈴木保監督)は準優勝。

11月

・FIFAに対し、2002FIFAワールドカップ開催への立候補意思の基本回答。

12月

・AFC40周年記念表彰式で日本がフェアプレー賞受賞。※AFCフェアプレー賞は新設

・加茂周が日本代表監督に就任。

1月

・日本代表(加茂周監督)がインターコンチネンタル選手権(サウジアラビア/現・FIFAコンフェデレーションズカップ)に初出場。

・横浜フリューゲルスが第5回アジア・カップウィナーズカップで初優勝。

2月

・FIFAに対し、2002FIFAワールドカップ開催の正式立候補の確認書を送付(同3月1日に正式立候補の記者会見を開催)。

・日本代表(加茂周監督)、ダイナスティカップ(香港)連覇。

4月

・1977年設立の日本ミニサッカー連盟を改め、「日本フットサル連盟」が発足。

・FIFAワールドユース選手権(カタール/現、FIFA U-20ワールドカップ)でU-20日本代表(田中孝司監督)がベスト8入り。FIFAフェアプレー賞を受賞。

6月

・第2回FIFA女子サッカー世界選手権(スウェーデン/現、FIFA女子ワールドカップ)で日本女子代表(鈴木保監督)がベスト8入り。女子サッカーが正式種目となった1996年アトランタオリンピックの出場権を獲得。 吉澤久惠審判員がこの大会の3位決定戦で線審(現、副審)を務める 。

・JFAが主催する全ての国内大会に「フェアプレー賞」を設けることを決定。

8月

・横浜フリューゲルスが第1回アジアスーパーカップの初代チャンピオンに。

・U-17日本代表(松田保監督)、FIFA U-17選手権(エクアドル/現、FIFA U-17ワールドカップ)に出場、グループステージ敗退。

・阪神・淡路大震災チャリティーFIFAオールスターマッチ(アメリカ大陸選抜対世界選抜)を国立競技場で開催。

9月

・福岡でユニバーシアード競技大会が開催され、ユニバーシアード日本代表(●監督)が初優勝。

・FIFAに対し、2002FIFAワールドカップ開催提案書を提出。

10月

・日本女子代表(鈴木保監督)が第10回AFCアジア女子選手権(マレーシア)に出場し、準優勝。

12月

・ベルマーレ平塚が第6回アジア・カップウィナーズカップ初優勝。

2月

・第1回全日本フットサル選手権(現、JFA全日本フットサル選手権大会)が開幕、全国9地域代表が出場。

3月

・井原正巳選手が1995年のAFC年間最優秀プレーヤーに選ばれる。JFAはフェアプレー賞受賞。

4月

・JFAとJリーグ、筑波大学が、同大学の大学院修士課程体育研究科内に「プロフェショナルスポーツ・コーチ論寄付講座」を開設。5年間にわたり開設(~2000年3月まで)。

5月

・2002年FIFAワールドカップが日本と韓国の共催になることが決定。アジア初、そして、大会史上初の共同開催。

7月

・アトランタオリンピックから女子サッカーが正式種目に採用。同大会に日本女子代表(鈴木保監督)が出場、グループリーグ敗退。U-23日本代表(西野朗監督)が優勝候補のブラジルを破る(「マイアミの奇跡」)も、8強入りならず。

・2002年FIFAワールドカップ開催準備委員会発足。

8月

・第76回天皇杯が、Jリーグ全チーム、47都道府県代表、JFL上位チーム、大学シード、2種チームの計80チームによるノックアウト方式に変更される。

9月

・Jリーグと共同で「公認S級コーチ養成コース」の充実を目的に筑波大学大学院に「寄付講座」を開設(~2000年度)。

・75周年を記念して、9月10日を「サッカーの日」として設定。

11月

・高田静夫がFIFAレフェリースペシャルアウォードを受賞。

・この年の天皇杯(第76回大会)より、全国9地域代表制から47都道府県代表制に変更。クラブユースや高校のチームにも門戸を広げて開催。

・2002年FIFAワールドカップ国内開催地10自治体が決定(北海道、宮城、茨城、埼玉、神奈川、新潟、静岡、大阪、兵庫、大分)。

3月

・第1回全日本女子ジュニアユースサッカー選手権大会(現、JFA全日本U-15女子サッカー選手権大会)開幕

6月

・U-20日本代表(山本昌邦監督)、第9回FIFAワールドユース選手権(マレーシア/現、FIFA U-20ワールドカップ)で2大会連続ベスト8。

・日本女子代表監督に宮内聡が就任。

・「キリンカッフ゜サッカー'97」が開催された。日本代表(加茂周監督)は、クロアチア、トルコを相手に連勝し、大会3連覇、通算4回目の優勝を飾った。日本女子代表(宮内聡監督)は中国と2試合戦って1勝1分、中国女子代表から初勝利を挙げた。

7月

・日本初のサッカーナショナルトレーニングセンター、Jヴィレッジ(福島)がオープン。

9月

・創立100年となる2021年に向けての日本サッカーの取り組むべき課題について、「将来構想プロジェクト」で検討を進め、「JFA行動宣言」と「アクションプラン」として報告。

10月

・岡田武史が日本代表監督に就任。

11月

・FIFAワールドカップ(フランス)アジア地区第3代表決定戦で、日本代表がイランをゴールデンゴールで下し、初出場を決める(「ジョホールバルの歓喜」)。

12月

・2002年FIFAワールドカップサッカー大会日本組織員会(JAWOC)設立。

・第1回全日本女子ユースサッカー選手権大会(現、JFA全日本U-18女子サッカー選手権大会)開幕

・全国サッカークラブユース連合と日本クラブジュニアユースサッカー連盟が統合され、日本クラブユースサッカー連盟として発足。

・長沼健会長と高砂嘉之参与(兵庫県サッカー協会会長)が、南米サッカー連盟(CONMEBOL)特別功労賞受賞

・サッカー選手として最も成長する年代に種別や連盟の垣根を超え、「個人の能力に応じた環境」を提供することを目的に、所属チーム(大学又は高校等)に登録したまま、受入先のJクラブの選手としてJリーグ等の公式試合に出場することができる「特別指定選手制度(現、JFA・Jリーグ特別指定選手制度)を導入。

3月

・第4回AFCダイナスティカップを日本で開催。日本代表(岡田武史監督)は3連覇。

・ジュニアユース審判資格制度、ユース審判資格制度を新設。

4月

・各種指導者養成講習会の講師を養成するJFAインストラクター制度を導入。

5月

・1997年AFC年間最優秀選手賞に中田英寿が選出。プレーヤーでは1995年の井原正巳選手に続く2人目。同年のベストイレブンには中田英寿と相馬直樹が選出された。

・創立100周年となる2021年に向けて、サッカー界の発展を期するために、「JFAサッカー行動規範」を承認

・村田忠男理事が、AFCから長年にわたるアジアサッカーの発展とFIFAへの貢献により、AFC総会でAFCから表彰(Distinguished Service Award)を受けた

6-7月

・日本代表(岡田武史監督)、FIFAワールドカップ(フランス)に出場 、グループリーグ敗退。同大会で岡田正義審判員が主審を務める。

7月

・第9代会長に岡野俊一郎が就任。

9月

・フィリップ・トルシエ(フランス)が日本代表監督に就任。U-20、U-17日本代表も指揮する。

11月

・第1回となるフットボールカンファレンス(福島)を開催。以降、2年ごとに開催。

3月

・Jリーグ、1・2部制導入。J1リーグが16クラブ、J2リーグが10クラブで再スタート。

4月

・審判員登録制度スタート。

・U-20日本代表(フィリップ・トルシエ監督)が、第10回FIFAワールドユース選手権(ナイジェリア)で準優勝。

・第1回日本フットボールリーグ(JFL)開幕。

・ジュビロ磐田がアジアクラブ選手権で初優勝。

5月

・AFCアニュアルアワード1998で中田英寿選手が2年連続でAFC年間最優秀選手、年間最優秀ユース選手賞に小野伸二選手が選ばれる。年間最優秀監督賞に桑原隆監督、年間最優秀クラブ賞にジュビロ磐田が選ばれる。

6-7月

・日本代表(フィリップ・トルシエ監督)、コパ・アメリカ’99に招待チームとして出場。日本はペルー、パラグアイ、ボリビアと対戦し、2敗1分でグループステージ敗退。

・日本女子代表(宮内聡監督)が第3回FIFA女子ワールドカップ(アメリカ)出場、グループステージ敗退。同大会で吉澤久惠審判員が3位決定戦などで副審を務める。

11月

・日本女子代表監督に鈴木保が就任。

・U-22日本代表(トルシエ監督)がシドニーオリンピックアジア予選で優勝。

・ジュビロ磐田がアジアスーパーカップで優勝(第2回世界クラブ選手権の出場権を得るが、同大会は大会運営を委託されていた会社が倒産したため、中止に) 。

12月

・2002 FIFAワールドカップ日本/韓国予選抽選会を東京で開催。

・国立競技場で行われた天皇杯準決勝(名古屋グランパス対柏レイソル戦)に天皇皇后両陛下がご臨席。

4月

・シニアの登録制度開始。

・AFCアニュアルアワードで、JFAがフェアプレー賞受賞。年間優秀ユースチーム賞にU-20日本代表、年間優秀クラブ賞にジュビロ磐田(2年連続)、また、中澤佑二、中田英寿、中山雅史がベストイレブンに選出された。

・清水エスパルス(ペリマン監督)、アジアカップウィナーズ選手権で初優勝

・アジアクラブ選手権でジュビロ磐田(鈴木政一監督)が準優勝。

5月

・日本女子代表監督に池田司信が就任

9月

・U-23日本代表(フィリップ・トルシエ監督)、シドニーオリンピックに出場、ベスト8。

・シドニーオリンピック女子サッカーの決勝で、吉澤久惠審判員が副審を務める。オリンピック決勝で日本人審判員が指名されるは初。

10月

・日本代表(フィリップ・トルシエ監督)が、第12回AFCアジアカップ(レバノン)で2度目の優勝。

11-12月

・FIFAフットサル世界選手権(グアテマラ/現、FIFAフットサルワールドカップ)に鈴木亮哉が審判員として参加し、主審などを務める。

3月

・toto(スポーツ振興くじ)の全国販売がスタート。

4月

・静岡県清水市(現、静岡市清水区)にサッカーナショナルトレーニングセンター「J-STEP」がオープン。

5月

・アジアクラブ選手権でジュビロ磐田(鈴木政一監督)が準優勝。

5-6月

・FIFAコンフェデレーションズカップ日本/韓国2001開催。日本代表が準優勝(優勝はフランス)。この大会で日本はFIFAフェアプレー賞を受賞。

6-7月

・U-20日本代表(西村昭宏監督)、FIFAワールドユース選手権(アルゼンチン)に出場、グループステージ敗退。上川徹審判員が3位決定戦の主審を務める。

8月

・日本代表(フィリップ・トルシエ監督)、AFC/OFCチャレンジカップ(静岡)でオーストラリアを破り、優勝。

・ユニバーシアード日本代表(瀧井敏郎監督)、第21回ユニバーシアード競技大会(北京)で優勝(2度目)。

9月

・JFA創立80周年式典を開催。

・U-17日本代表(田嶋幸三監督)、FIFA U-17世界選手権(トリニダード・トバゴ/現、FIFA U-17ワールドカップ)に出場、グループステージ敗退。

11月

・日本代表OB会が発足。

・釜山(韓国)で2002FIFAワールドカップの決勝大会抽選会が行われる。

12月

・AFC女子アジアカップで日本女子代表が準優勝を果たす。

2月

・レフェリーとプロフェッショナル契約をするスペシャルレフェリー(現、プロフェショナル・レフェリー/PR)制度を導入。

4月

・「アジアユース育成プログラム」をスタート。

・AFCアニュアルアワード1999でJFAがフェアプレー賞、年間優秀ユースチーム賞にU-20日本代表(トルシエ監督)、年間最優秀クラブ賞にジュビロ磐田が選ばれる。

5月

・キリンチャレンジカップの日本代表対スウェーデン代表戦に天皇皇后両陛下がご臨席。

・日本、中国、韓国、チャイニーズ・タイペイ、グアム、香港、マカオ、モンゴルの各サッカー協会と東アジアサッカー連盟を設立、本部を東京に置く(その後、本部は中国サッカー協会、韓国サッカー協会の持ち回りとなる。2008年に北マリアナ諸島が加盟)。初代会長に岡野俊一郎が就任。

5-6月

・アジア初のFIFAワールドカップを韓国と共同開催。日本代表は出場2度目にしてベスト16入りを果たす。また、同大会で上川徹審判員が主審を務める。大会史上初となった日韓共催のワールドカップは両国の関係を深め、また、開催地やキャンプ地などで温かい交流が育まれるなど、「笑顔のワールドカップ」と称され、今なお語り継がれている。

7月

・第10代会長に川淵三郎就任。

・ジーコ(ブラジル)が日本代表監督に就任。

8月

・日本女子代表監督に上田栄治が就任(~2004年8月)。

・小倉純二副会長、FIFA理事(現、カウンシルメンバー)に就任(日本人のFIFA理事としては3人目)。

・第1回FIFA U-19女子世界選手権(カナダ/現、FIFA U-20女子ワールドカップ)にU-19女子日本代表(池田司信監督)が出場し、8強入り。また、FIFAフェアプレー賞を受賞。大岩真由美審判員が開幕戦、3位決定戦などで主審を務める。日本の女性審判員がFIFA主催の国際大会で主審を務めるのは初。

10月

・日本サッカーの環境充実と競技普及を目的とした重要施策「キャプテンズ・ミッション(のちに「プレジデンツ・ミッション」)を発表。

11月

・JFA名誉総裁高円宮憲仁親王殿下薨去 (11月21日)。

12月

・2002FIFAワールドカップを成功させたとして、日本と韓国にFIFAフェアプレー賞が授与される。

3月

・高円宮妃久子殿下がJFAの名誉総裁に就任される(3月21日)。

・J1リーグ、延長Vゴール方式を廃止し、90分での引き分けを導入。

・地域における新たなリーグ戦となるJFAプリンスリーグU-18を創設。

4月

・フットサル個人登録制度開始。

・世界基準を目指す選手の育成を目的にJFAエリートプログラムをスタート。

5月

・日本サッカーの環境充実と競技普及を目的とした重要施策「キャプテンズ・ミッション(のちに「プレジデンツ・ミッション」)を発表。

6月

・キッズ年代(6~10歳)の外遊びを推進すべく「JFAキッズプログラム」を立ち上げる。翌年2003年から47都道府県サッカー協会と共に各地の保育園や幼稚園などで行う「巡回指導」「フェスティバル」「指導者(キッズリーダー)養成」をスタート。

・日本代表、FIFAコンフェデレーションズカップ(フランス)に出場、グループステージ敗退もFIFAフェアプレー賞を受賞。

8月

・ユニバーシアード日本代表(西田裕之監督)が第22回ユニバーシアード競技大会(テグ)で連覇、3度目の優勝。

9月

・日本サッカーの新拠点、JFAハウスが東京都文京区本郷に誕生。JFA、Jリーグ、各種連盟などサッカー関連団体が移転。

9-10月

・日本女子代表(上田栄治監督)、第4回FIFA女子ワールドカップ(アメリカ)に出場、グループステージ敗退。吉澤久惠審判員が同大会で副審を務める。

11-12月

・FIFAワールドユース選手権(UAE/現、FIFA U-20ワールドカップ)、U-20日本代表(大熊清監督)、ベスト8に進出。

12月

・JFAハウスに日本サッカーミュージアムがオープン。

・東アジアサッカー選手権2003決勝大会が日本で開催される。優勝は韓国。日本代表(ジーコ監督)は準優勝。

1月

・「JFAレフェリーカレッジ」開講。

4月

・2002FIFAワールドカップ記念事業として、サッカーを中心としたスポーツ環境整備モデル事業、スポー ツ組織マネジメント能力開発事業(JFAスポーツマネージャーズカレッジ/SMC)、ワールドカップ開催地スタジアム利活用事業、キャンプ地等支援事業、サッカー 交流事業などをスタート。

・「JFA公認指導者登録制度」を導入。

5月

・長沼健最高顧問がFIFA100周年記念功労賞を、また、日本と韓国のサポーターがファン部門でFIFA100周年記念功労賞を受賞。

・JFAに裁定委員会を設置。

7月

・日本女子代表の愛称を「なでしこジャパン」に決定(公募)。

7-8月

・日本代表(ジーコ監督)、AFCアジアカップ(中国)で2大会連続優勝。

8月

・なでしこジャパン(上田栄治監督)、アテネオリンピックでベスト8。また、FIFAフェアプレー賞を受賞。U-23日本代表(山本昌邦監督)はグループステージ敗退。同大会で鮎貝志保審判員が女子の副審を務める。

・スポーツ組織マネジメントの知識やスキルを育むための人材養成コースとして、「JFAスポーツマネージャーズカレッジ(SMC)」をスタート。

11-12月

・フットサル日本代表(セルジオ・サッポ監督)、FIFAフットサル選手権(チャイニーズ・タイペイ/現、FIFAフットサルワールドカップ)でグループステージ敗退。五十川和也が同大会に審判員として参加し、主審などを務める。

12月

・日本女子代表監督に大橋浩司が就任。

・JFAハウスに面した金花通り(通称)が「サッカー通り」に名称変更。

・新潟県中越地震復興支援チャリティーマッチ「がんばれ新潟!」を開催。ジーコジャパンドリームスとアルビレックス新潟が対戦。

・AFCアニュアルアワード2004で澤穂希が2004年のAFC年間最優秀女子プレーヤーに選ばれる。

1月

・天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝が行われる国立競技場で「JFA2005年宣言」を発表。「DREAM~夢があるから強くなる」をスローガンにJFAの理念、ビジョン、達成目標を策定。

3月

・Jリーグが2ステージ制を廃止し、1シーズン制を導入。

5月

・ビーチサッカー日本代表(ラモス瑠偉監督)、第1回大会となるFIFAビーチサッカーワールドカップ(リオデジャネイロ)で4位。この大会でビーチサッカー日本代表はFIFAフェアプレー賞を受賞。

・日本サッカー殿堂を創設。

6月

・政府が推奨する地球温暖化防止国民運動「チーム・マイナス6%(のちに「チャレンジ25キャンペーン」に改称)に参加。

・日本代表、FIFAコンフェデレーションズカップ(ドイツ)に出場、グループステージ敗退。

6-7月

・FIFAワールドユース選手権(オランダ/現、FIFA U-20ワールドカップ)、U-20日本代表(大熊清監督)、ベスト16に進出。

7月

・「ユネスコ世界寺子屋運動くるりんぱプロジェクト」を推進する電通グループと(社)ユネスコ協会連盟と共同で「アジアの子どもたちにサッカーボールを届けるプロジェクト」をスタート。

8月

・ユニバーシアード日本代表(乾眞寛監督)、第23回ユニバーシアード競技大会(イズミル)で3連覇(4度目の優勝)。

9月

・フランスサッカー連盟と総合的なパートナーシップ、および、JFAアカデミー福島と同連盟の育成機関であるINF(男子部門)、CNNE(女子部門)とのパートナーシップを目的とした協定を締結。

10月

・JFAとJリーグが「将来構想委員会」を設置し、Jリーグを頂点とする国内全体のリーグ構造の検討、Jリーグ参入を目指すクラブの経営モデルの提示、Jリーグの将来構想を行う。

11月

・川淵三郎キャプテンがAFCの第1回ダイヤモンド・オブ・アジア賞を受賞。

・AFCアニュアルアワード2005で、原菜摘子が2005年のAFC年間最優秀女子プレーヤーに選ばれる。

12月

・初のFIFAワールドクラブチャンピオンシップ トヨタカップ ジャパン2005(現、FIFAクラブワールドカップ)を日本で開催。2008年大会までホスト国を務める。

1月

・FIFAワールドカップ2006に臨む日本代表の応援キャッチフレーズを制作することとし、サポーター投票を実施。その中から「SAMURAI BLUE」が選ばれる。同ワールドカップ以降「SAMURAI BLUE」は、日本代表の愛称となる。

3月

・Jリーグ準会員を刷新し、新たにJリーグ準加盟制度を導入。J 2入会を目指すクラブで一定の基準を満たしたものを「Jリーグ準加盟クラブ」と認定。JFL所属クラブだけでなく、地域リーグまたは都道府県リーグ所属クラブも対象に。

・アジア貢献活動の一環として、AFC加盟協会の指導者を対象とした「JFAインターナショナルコーチングコース」をスタート。

・JFAハウスに「2050年ポール」が完成し、除幕式を挙行。2050年ポールは、「JFA2005年宣言」に掲げる「JFA2050年の約束」にちなみ、「2050人から2050円の賛助金」を募集して制作費に充てた。

・キリンチャレンジカップの対エクアドル戦で日本代表、国際Aマッチ500試合を達成。

4月

・エリート育成機関「JFAアカデミー福島」を開校。

・JFAこころのプロジェクトによる「夢の教室」を本格的にスタート。サッカー選手をはじめ、各競技のアスリートらを“夢先生(ユメセン)”に、全国の小学校の授業(主に5年生を対象)で「夢の教室」を開始。スポーツ選手としての実体験を基に、夢を持つことの素晴らしさ、失敗や挫折に負けないことの重要性を説く。

・環境プロジェクトを設置し、サッカー界として環境保全に取り組むことに。

・JFAグリーンプロジェクト発足。スポーツ施設や学校等のグラウンドの芝生化を推進する「ポット苗方式・芝生化モデル事業」と「都道府県フットボールセンターの整備」を軸に事業を展開。

・審判トレーニングセンター制度をスタート。

5月

・アジア各国におけるプロリーグの発展を目指し、AFCプロリーグ特別委員会(委員長:川淵三郎JFA会長)が設置されたことに伴い、JFA内にAFCプロリーグプロジェクトを設置。AFCチャンピオンズリーグの改革を進めながらアジア各国のプロリーグの充実や刷新を図る。

・フットサル日本代表(セルジオ・サッポ監督)、AFCフットサル選手権(ウズベキスタン)で初優勝。

6月

・川淵三郎キャプテンがFIFA功労賞を受賞。

・日本女子サッカーの発展を目的に「女子サッカーの普及」「、FIFA女子ワールドカップでの優勝」「個の育」を3本柱とした「なでしこvision」を発表。

6-7月

・SAMURAI BLUE(日本代表)が、FIFAワールドカップ(ドイツ)に出場。グループステージ敗退。同大会に上川徹、廣嶋禎数両審判員が参加し、それぞれ3位決定戦などで主審、副審を務める。

7月

・イビチャ・オシム(ボスニア・ヘルツェゴビナ)が日本代表監督に就任。

・ビーチサッカー日本代表(鳥飼浩之監督)に出場し、ベスト8。

9月

・U-16日本代表(城福浩監督)、AFC U-17選手権(シンガポール)で2度目の優勝。

10月

・この年の国民体育大会から少年男子の対象年齢を「18歳以下」から「16歳以下」に引き下げて行われる。

・沖縄で第1回全国ビーチサッカー大会を開催。

11月

・JFAこころのプロジェクト推進室を設置。

4月

・JFAこころのプロジェクトによる「夢の教室」を本格的にスタート。サッカー選手をはじめ、各競技のアスリートらを“夢先生(ユメセン)”に、全国の小学校の授業(主に5年生を対象)で「夢の教室」を開始。スポーツ選手としての実体験を基に、夢を持つことの素晴らしさ、失敗や挫折に負けないことの重要性を説く。

・環境プロジェクトを設置し、サッカー界として環境保全に取り組むことに。

・JFAグリーンプロジェクト発足。スポーツ施設や学校等のグラウンドの芝生化を推進する「ポット苗方式・芝生化モデル事業」と「都道府県フットボールセンターの整備」を軸に事業を展開。

・審判トレーニングセンター制度をスタート。

6月

・日本女子サッカーの発展を目的に「女子サッカーの普及」「、FIFA女子ワールドカップでの優勝」「個の育」を3本柱とした「なでしこvision」を発表。

6-7月

・U-20日本代表(吉田靖監督)、FIFA U-20ワールドカップ(カナダ)でベスト16。FIFAフェアプレー賞を受賞。

7月

・SAMURAI BLUE、AFCアジアカップ(タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシア)に出場、ベスト4。

8-9月

・U-17日本代表(城福浩監督)、FIFA U-17ワールドカップ韓国に出場、グループステージ敗退。同大会決勝で西村雄一主審、相樂亨副審がそれぞれ主審、副審を務める。

9月

・なでしこジャパン(大橋浩司監督)、FIFA 女子ワールドカップ(中国)に出場、グループステージ敗退。同大会に大岩真由美主審、吉澤久惠副審が同大会に参加し、大岩が主審を、吉澤が副審を務める(大岩は、決勝で第4の審判員を務める)。

・Fリーグ(日本フットサルリーグ)開幕。

10月

・SAMURAI BLUE、AFCアジア/アフリカチャレンジカップ(大阪)でエジプトに勝利し、優勝。

11月

・フットサル日本女子代表チーム(中村恭平監督)を初結成し、第2回アジアインドアゲームズ(マカオ)初出場にして初優勝を決める。

・ビーチサッカー日本代表(ネネン監督)、FIFAビーチサッカーワールドカップ(リオデジャネイロ)に出場、グループステージ敗退。

・浦和レッドダイヤモンズ(ホルガー・オジェック監督)がAFCチャンピオンズリーグで初優勝。

12月

・岡田武史が日本代表監督に就任。

・聖マリアンナ医科大学がFIFAから「FIFAメディカルセンター川崎」として認定される。アジアでは初。なお、2015年1月28、29日には、日本スポーツ振興センターが管理する国立スポーツ科学センターメディカルセンター/順天堂大学医学部附属順天堂医院(2施設合同)と、神戸大学医学部附属病院/兵庫県立リハビリテーション中央病院/明和病院(3施設合同)を「FIFAメディカルセンター(FIFA Medical Centre of Excellence)」に認定)。

2月

・日本女子代表監督に佐々木則夫が就任。

3月

・47都道府県サッカー協会が全て法人化される。

7月

・第11代会長に犬飼基昭が就任。

・ビーチサッカー日本代表(河原塚毅監督)、FIFAビーチサッカーワールドカップ(フランス)に出場、グループステージ敗退。同大会に審判員として小野寺祐審判員が参加し、主審を務める。

・長沼健お別れの会を開催。

・U-23日本代表(反町康治監督)はグループ4位でノックアウトステージ進出ならず。

8月

・なでしこジャパン(佐々木則夫監督)、北京オリンピックで4位に。

9-10月

・フットサル日本代表(セルジオ・サッポ監督)、FIFAフットサルワールドカップに出場、グループステージ敗退。

10月

・フットサル日本代表(サッポ監督)、FIFAフットサルワールドカップ (ブラジル)に出場。 五十川和也が審判員として参加し、主審などを務める。

10-11月

・U-17日本女子代表(吉田弘監督)、FIFA U-17女子ワールドカップ(ニュージーランド)で8強入り。岩渕真奈が大会最優秀プレーヤーに選ばれる。

11月

・U-20日本女子代表(佐々木則夫監督)、FIFA U-20女子ワールドカップ(チリ)でベスト8。

・ガンバ大阪がAFCチャンピオンズリーグ(西野朗監督)で初優勝。

・長沼健元会長(故人)がAFCのダイヤモンド・オブ・アジアを受賞。

・AFCアニュアルアワード2008年で、澤穂希選手が2008年のAFC年間最優秀女子プレーヤーに選ばれる。

12月

・TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ ジャパン2008でガンバ大阪が3位に。

4月

・JFAアカデミー熊本宇城校を開校。

7月

・リスペクト・プロジェクト設置(現、リスペクト・フェアプレー委員会)。

・国連が提唱する「国連グローバル・コンパクト」に、国内93番目の企業・団体として、またスポーツ統括団体では世界初の登録。

8月

・Jヴィレッジ(福島)内にFIFAゴールプログラムの助成を受けた、初の医療施設「JFAメディカルセンター」をオープン(東日本大震災により、2011~2022年は閉院、2021年から再開)。

・U-19日本女子代表(佐々木則夫監督)、AFC U-19女子選手権(中国)で優勝。

9月

・一般財団法人2018/2022年FIFAワールドカップ日本招致委員会を設立。

・「JFA DREAM ASIA PROJECT」を立ち上げ、アジアサッカーの発展を推進。

10月

・U-17日本代表(池内豊監督)、FIFA U-17ワールドカップに出場、グループステージ敗退。

10-11月

・フットサル日本女子代表(中村恭平監督)、アジアインドアゲームス(ベトナム)で2連覇。

11月

・ビーチサッカー日本代表(ラモス瑠偉監督)、FIFA ビーチサッカーワールドカップ(UAE)に出場、ベスト8。この大会でビーチサッカー日本代表はFIFAフェアプレー賞を受賞。また、小野寺祐審判員が参加し、主審などを務める。

・AFCアニュアルアワード2009でJFAが年間最優秀協会(女子)と年間最優秀フェアプレー協会(男女)、年間最優秀代表チーム(U-19日本女子代表)、遠藤保仁選手が年間最優秀プレーヤー、岩渕真奈が年間最優秀ユース選手(女子)に選ばれる。

1月

・日本女子サッカーの強化策の一環として、なでしこジャパン海外強化指定選手制度を導入することを決定。

・スペインサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。

2月

・なでしこジャパン、東アジア女子サッカー選手権(東京)を連覇。

4月

・大阪府堺市立サッカーナショナルトレーニングセンター(J-GREEN堺)がオープン。

6月

・小倉純二副会長(当時)がFIFA功労賞を受賞。

・2010FIFAワールドカップ(南アフリカ)で西村雄一と相樂亨両審判員がそれぞれ主審と副審を務める。また、決勝で西村が第4の審判員を、相樂がリザーブアシスタントレフェリーを務める。

6-7月

・SAMURAI BLUE、2010FIFAワールドカップ(南アフリカ)に出場し、ベスト16に進出。

7月

・第12代会長に小倉純二が就任。

7-8月

・U-20 日本女子代表(佐々木則夫監督)、FIFA U-20女子ワールドカップ(ドイツ)に出場、グループステージ敗退。

8月

・日本代表監督にアルベルト・ザッケローニ(イタリア)が就任。

9月

・U-17日本女子代表(吉田弘監督)、FIFA U-17女子ワールドカップ(トリニダード・トバゴ)で準優勝。

11月

・第16回アジア競技大会(広州)でU-21日本代表(関塚隆監督)、なでしこジャパン(佐々木則夫監督)がともに初優勝。

・AFCアニュアルアワード2010でJFAが年間最優秀協会と年間最優秀フェアプレー協会に輝く。また、SAMURAI BLUEの岡田武史監督がAFC年間最優秀監督、山岸佐知子審判員が年間最優秀女子レフェリー、相樂亨審判員が年間最優秀アシスタントレフェリー、鮎貝志保審判員が年間最優秀女子アシスタントレフェリーにそれぞれ選出される。

12月

・TOYOTA プレゼンツFIFAクラブワールドカップ2010(UAE)に審判員として西村雄一主審、相樂亨副審、名木利幸副審が参加し、決勝でそれぞれ主審、副審を務める。

1月

・SAMURAI BLUE、AFCアジアカップ(カタール)で大会最多4度目の優勝。

3月

・「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」(大阪・長居)を開催。日本代表がJリーグ選抜「JリーグTEAM AS ONE」と対戦。

・J1リーグ戦を対象に、違法なスポーツ賭博による「試合の不正操作」の可能性を検知するシステムFIFA Early Warning System (FIFA 早期警告システム)を導入。

4月

・JFAアカデミー福島が静岡県御殿場市時之栖内の専用寮で活動を再開(女子は2015年7月から裾野市の帝人アカデミー富士の一部を占有利用して活動)。

・高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権大会が全国リーグ方式に再編され、「高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグ」としてスタート。

・東日本大震災の復興支援として、日本体育協会(現、日本スポーツ協会)、日本オリンピック委員会、日本トップリーグ連携機構に呼びかけ、日体協主導で「スポーツこころのプロジェクト」を実施することを決定。JFA内に同プロジェクト運営本部を設置。

・シンガポールサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。

6月

・ドイツサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。

6-7月

・FIFA 女子ワールドカップ(ドイツ)でなでしこジャパンが初の決勝戦に進出し、アメリカと対戦。延長戦にもつれ込む大接戦を演じ、PK戦を制して世界女王となる。日本チームはFIFAフェアプレー賞を受賞、澤穂希がMVPと得点王に輝く。また、この大会で、深野悦子、高橋早織両審判員が参加し、それぞれ主審、 副審を務める。

・U-17日本代表(吉武博文監督)がFIFA U-17ワールドカップ(メキシコ)に出場し、8強入り。また、FIFAフェアプレー賞を受賞。

7月

・AFCフットサルクラブ選手権で名古屋オーシャンズが優勝。

8月

・なでしこジャパンが団体として初めて国民栄誉賞を受賞。

・全日本少年サッカー大会が8人制サッカーで再スタート。

・ユニバーシアード日本代表(中野雄二監督)が、第26回ユニバーシアード競技大会(深圳)で 5度目の優勝を果たす。

・JFA創立90周年に際し、FAシルバーカップが復元され、イングランドサッカー協会(The FA)から贈呈される。ウェンブリースタジアムで贈呈式を開催。

・「東日本大震災チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」を開催(東京・国立競技場)。なでしこジャパンがなでしこリーグ選抜と対戦。

9月

・ビーチサッカー日本代表(ラモス監督)、FIFAビーチサッカーワールドカップ(イタリア)に出場、グループステージ敗退。

・リスペクトFC JAPANを設立。

11月

・なでしこジャパンが紫綬褒章を受章。

・AFCアニュアルアワード2011でJFAが年間最優秀協会に選ばれる。また、SAMURAI BLUE(日本代表)が年間最優秀代表チーム、なでしこジャパンが年間最優秀女子代表チーム、名古屋オーシャンズが年間最優秀フットサルチーム、なでしこジャパンの佐々木則夫監督が年間最優秀コーチ、手塚貴子U-19日本女子代表コーチが年間最優秀女子コーチ、宮間あや選手が年間最優秀女子プレーヤー、石毛秀樹選手が最優秀ユースプレーヤー、山岸佐知子審判員が年間最優秀女子レフェリーにそれぞれ選出される。

・小倉純二会長が南米サッカー連盟より特別勲章を受章。

・ウズベキスタンサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。

12月

・TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップが日本で開催され、柏レイソル(ネルシーニョ監督)が第4位に。

1月

・FIFAバロンドール2011で、澤穂希がFIFA女子年間最優秀選手賞を、佐々木則夫監督が女子年間最優秀監督賞を、日本サッカー協会がFIFAフェアプレー賞を受賞。

・2012シーズンよりJ2クラブとJFLクラブ(準加盟クラブ)との入れ替え制度を導入することを決定。

2月

・AFCが2013シーズンよりクラブライセンス制度を導入することを決め、加盟各国サッカー協会に同制度の整備を通達。これを受けて、JFAとJリーグは日本国内向けのクラブライセンス制度を施行。

3月

・FIFAワールドカップ南アフリカ2010でのSAMURAI BLUE(日本代表)、およびFIFA女子ワールドカップ・ドイツ2011でのなでしこジャパン(日本女子代表)の活躍に大きく貢献したとして、日本サッカー協会男女ナショナルチームの医・科学サポートグループが第14回秩父宮記念スポーツ医・科学賞(奨励賞)を受賞。

4月

・日本サッカー協会が公益財団法人に。

6月

・大仁邦彌副会長が第13代会長に就任。

・U-23日本代表(関塚隆監督)は、銅メダルを獲得したメキシコオリンピック以来、44年ぶりの4強入り。

7-8月

・ロンドンオリンピックでなでしこジャパン銀メダル獲得。

8-9月

・FIFA U-20女子ワールドカップを日本で開催。U-20日本女子代表(吉田弘監督)は3位に。

9-10月

・U-17日本女子代表(吉田弘監督)が、FIFA女子U-17ワールドカップ(アゼルバイジャン)でベスト8。

10月

・日本サッカー協会に皇后杯、下賜。全日本女子サッカー選手権大会の優勝チームに授与されることに。

11月

・フットサル日本代表(ミゲル・ロドリゴ監督)、FIFAフットサルワールドカップ(タイ)でベスト16に進出。

・AFCアニュアルアワードでなでしこジャパンが年間最優秀代表チーム(女子)を、フットサル日本代表が年間最優秀フットサルチームを、高倉麻子U-17日本女子代表コーチが年間最優秀コーチ(女子、フットサル日本代表が年間最優秀フットサルチーム、 香川真司選手が年間最優秀アジアインターナショナルプレーヤー、宮間あや選手が年間最優秀プレーヤー(女子)、逸見勝利ラファエル選手が年間最優秀フットサルプレーヤー、 西村雄一審判員が年間最優秀レフェリー(男子)、山岸佐知子審判員が年間最優秀レフェリー(女子)に輝く。

2月

・タジキスタンサッカー連盟とパートナーシップ協定締結。

5月

・Jリーグ、5月15日を「Jリーグの日」に制定。

6月

・暴力根絶相談窓口を設置。

・SAMURAI BLUE、FIFAコンフェデレーションズカップ(ブラジル)に出場、グループステージ敗退。

7月

・アジア初の「INTERPOLE/FIFAスポーツにおけるインテグリティーワークショップ」をJFAで開催。

9月

・ビーチサッカー日本代表(ラモス監督)、FIFAビーチサッカーワールドカップ(タヒチ)に出場し、8強入り。

10月

・U-17日本代表(吉武博文監督)がFIFA U-17ワールドカップ(UAE)でベスト8。

11月

・AFCアニュアルアワード2013で、JFAが第1回「グラスルーツアワード」を受賞。高倉麻子 U-16日本女子代表監督が年間最優秀コーチ(女子)、長友佑都選手が年間最優秀アジアインターナショナルプレーヤー、名木利幸審判員が年間最優秀アシスタントレフェリー(男子)、山岸佐知子審判員が年間最優秀レフェリー(女子)を受賞。

12月

・アラブ首長国連邦とパートナーシップ協定締結。

11月

・日本サッカーを応援する自治体連盟発足。

1月

・ヨルダンサッカー協会とパートナーシップ協定締結。

3月

・J3リーグ創設で、明治安田生命J3リーグがスタート。Jリーグ3部制で51クラブに拡大。

3-4月

・U-17日本女子(高倉麻子監督)、FIFA U-17女子ワールドカップ(コスタリカ)で優勝。

3月

・司法機関(規律委員会、裁定委員会、不服申立て委員会(新設)を行政機関である理事会から完全に独立させる。

4月

・Fリーグに特別指定選手制度を新設。

・フットサルチーム登録、エンジョイ登録をスタート。

5月

・なでしこジャパン、AFCアジアカップ(ベトナム)で優勝。

・フットサル日本代表(ミゲル・ロドリゴ監督)、AFCフットサル選手権で2連覇を飾る(3度目の優勝)。

2月

・「だれもが、いつでも、どこでも、サッカーを楽しめるようにするための活動」をより強力に推進していくため、「JFAグラスルーツ宣言」を表明。

6月

・SAMURAI BLUE、FIFAワールドカップ2014ブラジルに出場。グループステージ敗退。

7月

・ベトナムサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。

8月

・ハビエル・アギーレ監督(メキシコ)が就任(~2015年2月)。

・イランサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。

12月

・AFCアニュアルアワード2014で、JFAがインスパイリング協会、小倉純二会長がダイヤモンド・オブ・アジア、U-17 日本女子代表が年間最優秀代表チーム(女子)、高倉麻子U-17日本女子代表監督が、年間最優秀コーチ(女子)に輝く。また、元日本代表の奥寺康彦となでしこジャパンの澤穂希のAFC殿堂(Hall of Fame)入りを果たす。

1月

・SAMURAI BLUE、AFCアジアカップ(オーストラリア)に出場、8強入り。

3月

・ヴァイッド・ハリルホジッチがSAMURAI BLUEの監督に就任。

・「JFAのバリュー」を策定。

4月

・一般財団法人日本ビーチサッカー連盟(JBSF)設立。

・JFAアカデミー今治、開校。

・田嶋幸三副会長がFIFA理事(現、カウンシルメンバー)に就任(日本で4人目)。

6月

・なでしこジャパン、FIFA女子ワールドカップ(カナダ)で準優勝。

7月

・ビーチサッカー日本代表(マルセロ・メンデス監督)、FIFAビーチサッカーワールドカップ(ポルトガル)に出場し、ベスト8。

9月

・モンゴルサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。

11月

・AFCアニュアルアワード2015で、JFAが年間最優秀協会賞(インスパイリング部門)、ドリーム・アジア、会長表彰グラスルーツ賞、年間最優秀フェアプレー協会の4部門に輝く。また、なでしこジャパンが年間最優秀代表チーム(女子)、高倉麻子U-19日本女子代表監督が年間最優秀コーチ(女子)を受賞。

12月

・FIFAクラブワールドカップ ジャパン 2015を開催。

1月

・U-23日本代表(手倉森誠監督)、AFC U-23選手権(カタール)で初優勝。

・JFA Youth Development Programme(JYD)を立ち上げ、ユース年代をはじめ、大学、シニア、女子、フットサル、ビーチサッカー、技術関連事業まで、日本サッカーの基盤を支える重要な各領域のさらなる普及や次世代選手の育成を促進することを目的に実施される施策及びそれを構成する各大会・事業の総称。

2月

・イングランドサッカー協会(The FA)とパートナーシップ協定を締結。

3月

・なでしこジャパンの監督に高倉麻子が就任。

・初の選挙による会長選出を実施。第14代会長に田嶋幸三が就任。

・JFAグラスルーツ推進・賛同パートナー制度を導入。

4月

・一般社団法人日本障がい者サッカー連盟、設立。

8月

・リオデジャネイロオリンピックでU-23日本代表(手倉森誠監督)はグループ3位で、ノックアウトステージ進出ならず。

9-10月

・U-17日本女子代表(楠瀬直木監督)、FIFA U-17女子ワールドカップ(ヨルダン)で準優勝。

11-12月

・U-20日本女子代表(高倉麻子監督)、FIFA U-20女子ワールドカップ(パプアニューギニア)で3位。杉田妃和がMVPを獲得。

12月

・AFCアニュアルアワード2016でJFAが年間最優秀協会賞(インスパイリング部門)を受賞。手倉森誠U-23日本代表監督が特別レコグニション賞を、堂安律選手が年間最優秀ユースプレーヤー(男子)、長野風花選手が年間最優秀ユースプレーヤー(女子)、岡崎慎司選手が年間最優秀アジアインターナショナルプレーヤーに輝く。

・倫理・コンプライアンス強化のため、内部通報者保護規則、JFAホイッスルブローイング(通報窓口)等運用規則、暴力等根絶相談窓口運用規則、反社会的勢力との関係遮断に関する規則を制定。

・鹿島アントラーズ(石井正忠監督)がFIFAクラブワールドカップ(日本)決勝戦に進出し、レアルマドリードと対戦、準優勝に。

・東京大学とスポーツ医学・科学研究の発展などに関する連携協定を締結。

・香港サッカー協会とパートナーシップ協定を締結。

2月

・デンマークサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。

・インドサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。

3月

・タイサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。

4-5月

・ビーチサッカー日本代表(マルセロ・メンデス監督)、FIFAビーチサッカーワールドカップ(バハマ)に出場、グループステージ敗退。

5月

・日本女子フットサルリーグ開幕。

・オマーンサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。

・第9代会長、岡野俊一郎を偲ぶ会を開催。

5-6月

・U-20日本代表(内山篤監督)がFIFA U-20ワールドカップ2017韓国に出場し、ベスト16に。

7月

・ラオスサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。

8月

・ユニバーシアード日本代表(宮崎純一監督)が第26回ユニバーシアード競技大会(深圳)で 6度目の優勝を果たす。ユニバーシアード日本女子代表(望月聡監督)は準優勝。

10月

・U-19日本女子代表(池田太監督)が、AFC U-19女子選手権2017中国で優勝。

・U-17日本代表(森山佳郎監督)がFIFA U-17ワールドカップ2017インドに出場し、ベスト16に。

・2020年の東京オリンピックを目指す日本代表監督に森保一が就任。

・カタールサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。

11月

・AFCチャンピオンズリーグ、浦和レッズが優勝。

・JFAのビジュアル・アイデンティティを刷新。

12月

・インドネシアサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。

・EAFF E-1サッカー選手権(日本)、SAMURAI BLUE(日本代表/ハリルホジッチ監督)、なでしこジャパン(高倉麻子監督)ともに2位。

・AFC アニュアルアワードでJFAがドリームアジアを受賞。なでしこジャパンの高倉麻子監督と浦和レッズ堀孝史監督が年間最優秀監督賞を受賞。

・チャイニーズ・タイペイサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。

・南米サッカー協会とパートナーシップ協定を締結。大陸連盟との協定は初。

・FIFAクラブワールドカップで鹿島アントラーズが準優勝。

4月

・なでしこジャパン(高倉麻子監督)、AFC女子アジアカップ(ヨルダン)で2大会連続優勝。岩渕真奈がMVP、チームはフェアプレー賞も受賞。

・田嶋幸三会長、FIFAカウンシルメンバーに再任。

・SAMURAI BLUEの監督に西野朗氏が就任。

・東京藝術大学と芸術およびスポーツを通じた社会貢献活動推進に関する連携協定を締結。

・FCバイエルン・ミュンヘンとパートナーシップ協定を締結

5月

・SAMURAI BLUE(日本代表/西野朗監督)、FIFAワールドカップ(ロシア)でベスト16。

7月

・SAMURAI BLUE(日本代表)監督に森保一が就任。

・Jヴィレッジ、2011年3月東日本大震災以来7年4カ月ぶりに一部営業を再開。

・U-20日本女子代表(池田太監督)、FIFA U-20 女子ワールドカップ(フランス)で悲願の初優勝。2011年のFIFA女子ワールドカップ優勝、FIFA U-17女子ワールドカップ2017年での優勝に続き、3カテゴリーで優勝。3カテゴリー優勝は世界初。

8月

・日本スポーツ協会の理事会で国民体育大会に少年女子(U-16)種別が創設されることが決定(2022年~)

8-9月

・アジア競技大会でU-21日本代表(森保一監督)が準優勝、なでしこジャパンが2度目の優勝。

9-10月

・U-16日本代表(森山佳郎監督)、AFC U-16選手権(マレーシア)で3度目の優勝。

10月

・(仮称)JFAナショナルフットボールセンターの起工式を執行。

10-11月

・U-19日本代表(影山雅永監督)、AFC U-19選手権(インドネシア)でベスト4。

11月

・鹿島アントラーズ(大岩剛監督)がAFCチャンピオンズリーグで初優勝。

・AFCアニュアルアワードでJFAが「インスパイリング協会賞」を受賞。鹿島アントラーズの大岩剛監督が年間最優秀コーチ(男子)、なでしこジャパンの高倉麻子監督が年間最優秀コーチ(女子)、宝田沙織選手が年間最優秀ユースプレーヤー(女子)、長谷部誠選手が年間最優秀アジアインターナショナルプレーヤーに輝く。また、池田太U-20日本女子代表監督がAFC会長特別賞を受賞。

11-12月

・U-20 日本女子代表(池田太監督)、FIFA U-20女子ワールドカップ(ウルグアイ)に出場し、ベスト8。

12月

・(仮称)JFAナショナルフットボールセンターの名称が「JFA夢フィールド」に決定。

2月

・SAMURAI BLUE(日本代表/森保一監督)が、AFC アジアカップ (UAE)で準優勝。

3月

・ビーチサッカー日本代表(ラモス監督)、AFCビーチサッカー選手権(タイ)で優勝。

・マレーシアサッカー協会とパートナーシップに関する覚書を締結。

・FIFA女子ワールドカップ2023に正式に立候補。

4月

・Jヴィレッジが、復興のシンボルとしてグランドオープン。

・Jリーグ、ホームグロウン制度を導入。12歳から21歳の間、3シーズンまたは36カ月以上、自クラブに登録した選手を登録する制度で、J1は来季から2人以上、21年度は3人以上、22年度は4人以上と設定。またJ2とJ3は22年度から1人以上に。

5-6月

・U-20日本代表(影山雅永監督)、FIFA U-20ワールドカップ(ポーランド)でベスト16。

5月

・国際女性デーに合わせて、3月8日を「女子サッカーデー」とすることを決定。

・指導現場における暴力・暴言等の根絶、医科学的な見地に立った選手のサポート等に向け「JFAサッカーファミリー安全保護宣言」を発表。

6-7月

・なでしこジャパン(高倉麻子監督)、FIFA女子ワールドカップ(フランス)でベスト16。

6月

・U-20フットサル日本代表(鈴木隆二監督)、AFC U-20フットサル選手権(イラン)で優勝。

10月

・JFA夢フィールドに故高円宮憲仁親王殿下の宮号を冠して「高円宮記念JFA夢フィールド(Prince Takamado Memorial JFA YUME Field」とすることを発表。

・AFC DREAM ASIA AWARDS2019のInspiring Member Association部門でゴールドを受賞。また、高倉麻子監督がアジア最優秀コーチ(女子)に、熊谷紗希選手が年間最優秀選手(女子)、吉川智貴選手が年間最優秀フットサル選手賞、遠藤純選手が年間最優秀ユースプレーヤー(女子)に輝く。

10-11月

・U-17日本代表(森山佳郎監督)、FIFA U-17ワールドカップ(ブラジル)でベスト16。

11月

・U-19日本女子代表(池田太監督)、AFC U-19女子選手権(タイ)で優勝。

・2021年の開幕を目指す女子のプロリーグの新設がJFAの理事会で承認される。

11-12月

・ビーチサッカー日本代表(ラモス瑠偉監督)、FIFAビーチサッカーワールドカップ(パラグアイ)でベスト4。

・JFA U-18女子サッカーファイナルズを新設することを決定(2020年9月に開催する予定だったが新型コロナウイルス感染拡大のため中止)。

・FIFA女子ワールドカップ2023 正式に立候補を表明。

12月

・EAFF E-1サッカー選手権(韓国)で、SAMURAI BLUE(日本代表/森保一監督)が準優勝、なでしこジャパン(高倉麻子監督)が優勝(4大会ぶり3回目)

2月

・ドイツにJFAの拠点「JFAヨーロッパオフィス」を設置することを決定。

・新型コロナウイルス感染拡大防止のため、在宅勤務を推進。リモートワークのための環境を整備。

3月

・田嶋幸三会長が再任(3期目)

4月

・高円宮記念JFA夢フィールド完成。

・新型コロナウイルス感染症対策 JFAサッカーファミリー支援事業を開始。

・サッカーe日本代表、FIFA eNations StayAndPlay Cupで3位。

6月

・FIFA女子ワールドカップ2023 招致から撤退を表明。

・JFA夢フィールド、使用開始。

・2021年秋に開幕する日本初の女子プロサッカーリーグの名称「WEリーグ(Women Empowerment League)」を発表。

・WEリーグを運営する新法人「一般社団法人日本女子プロサッカーリーグ(略称:WEリーグ)」を設立。代表理事(呼称:チェア)に岡島喜久子が就任。

・SDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けた取り組むを強化することとし、JFA内に「SDGs推進チーム」を新設。

7月

・千葉大学医学部付属病院と高円宮JFA夢フィールド事業に関する協定を締結。

8月

・「高円宮記念JFA夢フィールド」のエントランスホールに高円宮憲仁親王像を設置。

・女性指導者を対象とした「Associate-Pro(A-Pro)コーチ養成講習会」を開設することを決定(9月14日から開講)。

9月

・JFA女性リーダーシップ・プログラムを新設することを決定(10月31日に開講)。

・WEリーグ、参加11クラブ決定。

・「連盟・リーグ等への新型コロナウイルス感染症対策支援金(仮称)」を支給することを決定。

10月

・WEPs=「女性のエンパワーメント原則」に署名。

・順天堂大学と包括的連携協定を締結。

・「女子プロサッカー選手の契約、登録および移籍に関する規則」を新設。WEリーグ所属の選手を対象に妊娠、出産の有無に影響されないとするなどの条項を盛り込む。

11月

・フィジカルフィットネスライセンスを新設することを決定。

12月

・FIFAやAFCなど国際機関で活躍する人材輩出を目的に国際機関人材選出プロジェクト設置を決定。

1月

・天皇杯JFA第100回全日本サッカー選手権大会決勝を創立100周年の記念イベントとして開催。同大会から天皇杯第101回大会までを「THE YEAR」とし、記念事業をスタート。

3月

・JFAメディカルセンター(福島)が再開。